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切なくも鮮やかに少女の葛藤を描いた『悲しみに、こんにちは』感想。

先日、うだるような暑さの中渋谷ユーロスペースにてある映画を見てきた。
邦題『悲しみに、こんにちは』というものだ。

なぜこれを見てきたかというと映画SNSのfilmarksで非常に高評価であり、レビューの一つに自分が好きだった映画の『ミツバチのささやき』のようだったというものを見たからである。

まさに夏にぴったりの、鮮やかな少女映画だった。
味わい深い作品だったのでちゃんと感想を文章として残しておこうと思う。




あらすじ


カルラ・シモン監督『悲しみに、こんにちは』予告

舞台は1993年、スペイン・カタルーニャ地方。母親が死んでしまったことで主人公のフリダはバルセロナから引っ越し親戚の叔父の家に引き取られることになる。
新しい家族や友達、近所の人達を一見問題なく受け入れたかのように見えたが、その心の中には葛藤を抱えていて…

幼くして母を"ある病気"でなくした少女が初めて故郷を離れて過ごすひと夏の物語。

眩しいほどキュートな子役達と美しい田園風景

映画は徹底的にフリダの視点から描かれる。それだけ主人公視点で画面が進むということは主役の演技が映画の出来を左右してしまうわけだが、この主人公フリダ役ライア・アルティガスの演技が素晴らしい。
早くに母親を亡くし、突然親戚の家に引き取られる、新しい生活へのどうしようもない不安と受け止めきれない悲しみを子役とは思えないほどの自然な演技で見事に演じきっているのである。純粋無垢な体に不釣り合いな、なんとも言えないアンニュイな感情を携えた瞳に胸を突かれっぱなしであった。
そしてそのように魅力的なフリダを撮りつづけたカメラワークもいい仕事をしているといえる。

それだけでなく、その義理の妹アナとの掛け合いの演技も非常にキュートなのだ。
大人のフリをして、ブカブカのブーツを履きマニキュアをチーク代わりにして化粧をしてごっこ遊びをする場面、もう最高にキュート!こんなにキラキラと子供らしさとおしゃれさを全開にしたシーンを撮れるのは監督の妙だろう。


カタルーニャ地方の美しい田園風景を存分に活かしたカットも印象的だ。 
雄大な緑に囲まれた一軒家での生活は見ている方の時間の流れもゆったりとしたものにさせる。

少女が体験する生と死、監督の記憶

本作の始まり方は非常に象徴的だ。 

バルセロナの友達とだるまさんがころんだで遊ぶ主人公。
鬼に近づいていくが、動いてしまい、鬼役の男の子に「お前は死んだ」と言われたところで花火が打ち上がる。
思わずドキッとしてしまうが、そこに生命の煌めきとその運命を印象深く観客に感じさせる。
この物語は主人公フリダが母親の死とどのように向き合うかという話であるが、それと同時に映画全体を通底するのはフリダが、そしてそのモデルである監督が、1993年の夏に学んだ生と死についての記憶だ。

映画の随所随所で生と死を想起させるシーンが挿入される。特に血が使われる。
カタルーニャの友達と遊んでいるときに転んでしまい血を流す場面。その血に触るなと友達がその母親に強い口調で諭す。ここと病院の検査のシーンから、母親の死因がHIVであることが示唆される。(直接言及されるわけではない。)
これはこの当時、ヨーロッパでHIVが流行し始めた事実を知っているともっとわかりやすいのだろう(自分は恥ずかしながら知らなかった。)*1

次は義理の母親の生理のシーン。使用済みタンポンをおくびもなく移すのは女性監督らしいかもしれない。少女がまだ分からぬ新しい生命を生み出す"女"に触れる。

そして最後は家畜のヤギを殺し解体するシーン。生きるために動物を殺す。フリダはじっと殺されたヤギから流れ落ちる血を見つめ続ける。生のための死もあるのだと知る。


上でも一瞬言及したが、この映画は監督であるカルラシモンが実際に体験したことを元にしている、自伝的な、非常に私的な映画と言えるだろう。そして驚くべきことに彼女はこの作品が長編映画を撮るのが初めてだったということ。
とても魂を揺さぶられる、素敵な映画だ。

映画『悲しみに、こんにちは』は現在東京はユーロスペースで上映中。その他の地域でもこれから上映開始の劇場がたくさん。
ぜひ夏のうちに見てほしい作品だ。

kana-shimi.com